一部再掲載、都条例の問題について
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このエントリの下の方の文章は、今年の3月10日に書いたものです。表現の自由を侵害しようとする今回の都条例は、以前『非実在青少年規制』といった名称で話題になり、あまりに常軌を逸したひどい内容だったため廃案になった条例が、名前を変え、一部もっとひどい内容になって復活した物です。
簡単に言えば、『刑罰法規に触れる性交や婚姻を禁止される近親者間の性交を不当に賛美・誇張して描写したものを描く事に規制をかける』という内容です。『不当』も『賛美』も『誇張』もさじ加減でどうとでもなるし、これを映画や文学に適応したら多くの文学、芸術作品が発禁になります。
『非実在青少年~』の時、一度条例案が廃案になっても、都は名前を変えて何度でも無理矢理通そうとするだろう、と多くの人が言っていましたが、予想どおりの展開になってしまいました。
今回は、まともな話し合いの場が持てないよう、前回よりさらに急な日程で案が出され、為す術もないまま、通ってしまいそうな状況です。
できる事は少ないですが、都条例に反対なら、陳情書などを出すのがいいようです。こちらに分かりやすい書き方の解説があります。
都条例の内容が、廃案になった前回のものと大差ないため、前回反対意見として書いた文章を再掲載します。
少し補足すると、表現者も、条例に反対する人達も、ポルノを子供に見せるべきではない、という事は(規制に賛成している人達以上に)きちんと分かっています。<社会通念上良くない表現物があり、それに対して『ケシカラン!』と怒る>という図式全体が、その文脈を社会に浸透させる事が『教育』なのです。
今回の都条例は、『ポルノを子供に見せるなどケシカラン!』と怒る事すらできなくなってしまう内容なので、条例自体が子供に有害なのです。
※ ※
2010.03.10
良いものを指して『これは良い』と教える事と、悪いものを指して『これは悪い』と教える事はどちらも同じように人間が善悪を学び、分別を身につけるために必要な事です。
情報の無菌室に人を閉じ込めても、人の心は健康に育ちません。
ポルノや暴力表現の中には、現実ではまず遭遇しないような、遭遇したら心身に大変な傷を負うような内容を描いたものがあります。それらがいかに良くないかを教えるには、社会の中にそういった表現物が存在しなければなりません。それらが言論統制され、存在しない場で育てば、人は何が悪いのか、何が危険なのかを学ぶ機会をひとつ失います。
それらの表現物に対して、『これはよくない内容だ』と子供に教えるのは、親や周囲の大人達の大切な役目で、子供にとってもかけがえのない教育の機会です。それを奪わないでください。
たとえば、戦争は良くないことですが、だからといって戦争について一切表現する事を禁じてしまったらどうなるでしょう。子供は戦争がいい事か悪いことか、我々の社会が戦争というものをどう考えているのか、ぼんやりとしか学べないまま大人になってしまうでしょう。
我々は成長の過程のどこかで、良くないものも知る必要があります。
世の中には様々な悪があり、我々はその悪の『実行者になる』、『被害者になる』、『表現物に触れる』という三つの手段でしか学ぶ事ができません。
もちろん『犯罪的な内容の表現物を読んで犯罪について学べ』という意味ではありません。そういう表現物に対して良識を持って立ち向かう人達がいる社会の空気からしか、人は善悪や分別を学べないのです。教科書に『これは善です、これは悪です』と書いて暗記させても、それは分別を身につけたことにはなりません。
繰り返しになりますが、現在市場にある表現物の中には、非常に暴力的で残虐なものや、社会通念上良くないとされるようなものがあります。それに対して、良識ある人達が声を大にして『これは良くない』という事はとてもいい事だと思います。なぜなら、良くない表現物があり、それを良くないと指摘する大人たちがいる、という、その構図そのものが、子供が分別を身につけるために絶対に必要な大切な教材だからです。良くない表現物がなくなれば、『これは良くない』と言葉を、良識を発する機会そのものが失われ、この社会で何が良いとされ、何が良くないとされるのか、という文脈自体が希薄になります。それが無菌室的な社会です。
自分がもしいつか子供の親になったとき、自分の住んでいる場所が、暴力や性表現の一切存在しない無菌室のような不気味な社会になっていたら、子供を健全に育てることは不可能だと感じます。そんな社会には住みたくないです。
大きな力を持った人間が、自分の好まないものは力で消してしまえばいい、と思い始めたとき、このような無菌室的な社会が生まれます。それを防ぐために、表現の自由があるのではないかと、僕は思います。
簡単に言えば、『刑罰法規に触れる性交や婚姻を禁止される近親者間の性交を不当に賛美・誇張して描写したものを描く事に規制をかける』という内容です。『不当』も『賛美』も『誇張』もさじ加減でどうとでもなるし、これを映画や文学に適応したら多くの文学、芸術作品が発禁になります。
『非実在青少年~』の時、一度条例案が廃案になっても、都は名前を変えて何度でも無理矢理通そうとするだろう、と多くの人が言っていましたが、予想どおりの展開になってしまいました。
今回は、まともな話し合いの場が持てないよう、前回よりさらに急な日程で案が出され、為す術もないまま、通ってしまいそうな状況です。
できる事は少ないですが、都条例に反対なら、陳情書などを出すのがいいようです。こちらに分かりやすい書き方の解説があります。
都条例の内容が、廃案になった前回のものと大差ないため、前回反対意見として書いた文章を再掲載します。
少し補足すると、表現者も、条例に反対する人達も、ポルノを子供に見せるべきではない、という事は(規制に賛成している人達以上に)きちんと分かっています。<社会通念上良くない表現物があり、それに対して『ケシカラン!』と怒る>という図式全体が、その文脈を社会に浸透させる事が『教育』なのです。
今回の都条例は、『ポルノを子供に見せるなどケシカラン!』と怒る事すらできなくなってしまう内容なので、条例自体が子供に有害なのです。
※ ※
2010.03.10
良いものを指して『これは良い』と教える事と、悪いものを指して『これは悪い』と教える事はどちらも同じように人間が善悪を学び、分別を身につけるために必要な事です。
情報の無菌室に人を閉じ込めても、人の心は健康に育ちません。
ポルノや暴力表現の中には、現実ではまず遭遇しないような、遭遇したら心身に大変な傷を負うような内容を描いたものがあります。それらがいかに良くないかを教えるには、社会の中にそういった表現物が存在しなければなりません。それらが言論統制され、存在しない場で育てば、人は何が悪いのか、何が危険なのかを学ぶ機会をひとつ失います。
それらの表現物に対して、『これはよくない内容だ』と子供に教えるのは、親や周囲の大人達の大切な役目で、子供にとってもかけがえのない教育の機会です。それを奪わないでください。
たとえば、戦争は良くないことですが、だからといって戦争について一切表現する事を禁じてしまったらどうなるでしょう。子供は戦争がいい事か悪いことか、我々の社会が戦争というものをどう考えているのか、ぼんやりとしか学べないまま大人になってしまうでしょう。
我々は成長の過程のどこかで、良くないものも知る必要があります。
世の中には様々な悪があり、我々はその悪の『実行者になる』、『被害者になる』、『表現物に触れる』という三つの手段でしか学ぶ事ができません。
もちろん『犯罪的な内容の表現物を読んで犯罪について学べ』という意味ではありません。そういう表現物に対して良識を持って立ち向かう人達がいる社会の空気からしか、人は善悪や分別を学べないのです。教科書に『これは善です、これは悪です』と書いて暗記させても、それは分別を身につけたことにはなりません。
繰り返しになりますが、現在市場にある表現物の中には、非常に暴力的で残虐なものや、社会通念上良くないとされるようなものがあります。それに対して、良識ある人達が声を大にして『これは良くない』という事はとてもいい事だと思います。なぜなら、良くない表現物があり、それを良くないと指摘する大人たちがいる、という、その構図そのものが、子供が分別を身につけるために絶対に必要な大切な教材だからです。良くない表現物がなくなれば、『これは良くない』と言葉を、良識を発する機会そのものが失われ、この社会で何が良いとされ、何が良くないとされるのか、という文脈自体が希薄になります。それが無菌室的な社会です。
自分がもしいつか子供の親になったとき、自分の住んでいる場所が、暴力や性表現の一切存在しない無菌室のような不気味な社会になっていたら、子供を健全に育てることは不可能だと感じます。そんな社会には住みたくないです。
大きな力を持った人間が、自分の好まないものは力で消してしまえばいい、と思い始めたとき、このような無菌室的な社会が生まれます。それを防ぐために、表現の自由があるのではないかと、僕は思います。
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No title
日曜日にニコニコ動画でこれの生放送やっていましたけど、浅野議員の説明がひどかったです……。話し合いの場など最初からなく、今度の議会もまったくの無意味とのことでした。
事実上、今回の条例は可決したも同然で、仮に否決しても、また次が確実にあると。石原からしたら前回の否決で面子が丸潰れなので、何が何でも今回は通してくるだろうとの話でした。
面子>>>>国民
という考え方が、もはや政治家では普通なのですね。
というか、賛成派の人のブログとか読んでいると、すごく考え方が浅いです。この条例が、自分たちには飛び火しないと思い込んでいるみたいです。規制の前例が出来れば、あとは拡張していけば、どんなものでも規制なんて簡単になるというのに。
それを許したのも国民なのですから、或る意味文句は言えないのですけどね。
事実上、今回の条例は可決したも同然で、仮に否決しても、また次が確実にあると。石原からしたら前回の否決で面子が丸潰れなので、何が何でも今回は通してくるだろうとの話でした。
面子>>>>国民
という考え方が、もはや政治家では普通なのですね。
というか、賛成派の人のブログとか読んでいると、すごく考え方が浅いです。この条例が、自分たちには飛び火しないと思い込んでいるみたいです。規制の前例が出来れば、あとは拡張していけば、どんなものでも規制なんて簡単になるというのに。
それを許したのも国民なのですから、或る意味文句は言えないのですけどね。