テレビって面白い!!! ただし20年前の
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なんかテレビをつけたら、古い『アメリカ横断ウルトラクイズ』とか『欽ちゃんの仮装大賞』とか『第一回鳥人間コンテスト』の映像が流れていて、なんとなくながら観していたら、思わず見入ってしまった。
今だったら絶対できないような、視聴者が怪我してしまいかねない罰ゲームとか、たかが○×クイズとかジャンケンのために球場を借り切ったりグランドキャニオンで空撮したり、お金の使い方も無茶だし、何より視聴率ではない何かに向かって突き進んじゃってるのがいい。
もちろん当時の人達も視聴率のために番組をつくっていたんだと思うけど、幸いにしてリサーチが甘かったり、分単位の視聴率みたいな不毛以外の何者でもない数字に縛られていないために、なんというか、『面白いものをつくれば視聴率がとれるはず!』と信じてやっている雰囲気が感じられる。
まあ、過去の映像の面白かった部分を凝縮しているので、それと今普通に流れている番組を比較しても意味がないけど、それでも、当時のテレビは若者で、現在のテレビは老人、という気がする。
視聴率というのは、テレビの画面に映ったもののごくごく一部しか反映していない統計で、その番組の全体的な価値を計るにはあまりにも情報量の少ない数字だと思う。
なんでもう少しパラメータを増やさないんだろう、と思うと同時に、つくる側が統計データに盲目的に振り回されるようになった時、メディアは終わるんじゃないかという気もする。
伊集院光のラジオで聴いた事だったと思うけど、出演している番組が明らかに迷走して、どう考えてもつまらないコーナーがどんどん拡大され、面白い部分が削られていくのでスタッフに理由を聞いたら『我々も一体なぜこんなつまらないものをつくらなければならないのか分からないけど、とにかくこのコーナーの分間視聴率が高いので増やしている』と、スタッフも首をひねりながら撮っていた、とか、料理番組で天ぷらを揚げていた時の分間視聴率がたまたま高かったので、それ以来しばらく天ぷらを揚げる仕事ばかりが来た、などという話を聴くと、まあ、終わってるな、と思う。
ものすごく根本的な事だけど、人間が何かを面白いと思うのは、それが過去にないものだったり、自分が今まで持っていなかった文脈を切り開いてくれたり、繋がっていると思わなかったものを新しい文脈で繋いでくれたり、そういう新規性のある体験に対してなので、過去の統計データがこうだったから、というのは通用しないことが圧倒的に多い。
もちろん、マンネリのゆるい安心感のある面白さというのもあるので、新規性が絶対ではないのだけど、それでも、人間というのはものすごい勢いで過去を再編集してゆくものなので、数字に直されてしまった過去から推論する未来予測は人間には通用しない事が多い。
例えば、斬新なものを3回連続で見せられると、それはもう斬新ではなくなる。『一回目は斬新だったけど、回を追うごとに新鮮味が無くなった』ではなくて、3回目を観て飽きた時点で1回目、2回目を見たときの記憶は再編集されて、全部まとめて『飽きた』になる。
流行遅れのものを見た時、それが流行だったときに感じた感情を当時の新鮮さを持って一度思い出してから、流行遅れである、というような、段階を追った形の認識を、人はしない。
だから、次に流行るものが何かを、データから予測することはほとんどできないのではないかと思う。現実に、流行ったものって、ほとんどすべて『流行るとは思わなかったもの』ですよね。
そんなわけで、視聴率という統計データに判断を委ねた事によってテレビは硬直化して滅んでゆくと思うのですが、ふと気付くと、ネットの世界もGoogleによって既に統計データが蓄積され、そのデータによって次の行動を決める段階にきてしまっているような気がします。
人がつくるものは、そういうサイクルで生まれ、栄え、滅ぶものなのかもしれません。つまり、予測不能の新規性の中から生まれ、統計データがとれるまでの期間栄え、その過去の統計データで未来が予測できるという勘違いが生まれた時点で滅ぶ、と。
あるいは、神経経済学のように、人間の無意識の行動を予測する学問などが発達して、人間の過去を編集する力を統計データに反映させて、何か新しい領域に到達するかもしれませんが。
なんかまたとりとめもなく長々とすみません。
今だったら絶対できないような、視聴者が怪我してしまいかねない罰ゲームとか、たかが○×クイズとかジャンケンのために球場を借り切ったりグランドキャニオンで空撮したり、お金の使い方も無茶だし、何より視聴率ではない何かに向かって突き進んじゃってるのがいい。
もちろん当時の人達も視聴率のために番組をつくっていたんだと思うけど、幸いにしてリサーチが甘かったり、分単位の視聴率みたいな不毛以外の何者でもない数字に縛られていないために、なんというか、『面白いものをつくれば視聴率がとれるはず!』と信じてやっている雰囲気が感じられる。
まあ、過去の映像の面白かった部分を凝縮しているので、それと今普通に流れている番組を比較しても意味がないけど、それでも、当時のテレビは若者で、現在のテレビは老人、という気がする。
視聴率というのは、テレビの画面に映ったもののごくごく一部しか反映していない統計で、その番組の全体的な価値を計るにはあまりにも情報量の少ない数字だと思う。
なんでもう少しパラメータを増やさないんだろう、と思うと同時に、つくる側が統計データに盲目的に振り回されるようになった時、メディアは終わるんじゃないかという気もする。
伊集院光のラジオで聴いた事だったと思うけど、出演している番組が明らかに迷走して、どう考えてもつまらないコーナーがどんどん拡大され、面白い部分が削られていくのでスタッフに理由を聞いたら『我々も一体なぜこんなつまらないものをつくらなければならないのか分からないけど、とにかくこのコーナーの分間視聴率が高いので増やしている』と、スタッフも首をひねりながら撮っていた、とか、料理番組で天ぷらを揚げていた時の分間視聴率がたまたま高かったので、それ以来しばらく天ぷらを揚げる仕事ばかりが来た、などという話を聴くと、まあ、終わってるな、と思う。
ものすごく根本的な事だけど、人間が何かを面白いと思うのは、それが過去にないものだったり、自分が今まで持っていなかった文脈を切り開いてくれたり、繋がっていると思わなかったものを新しい文脈で繋いでくれたり、そういう新規性のある体験に対してなので、過去の統計データがこうだったから、というのは通用しないことが圧倒的に多い。
もちろん、マンネリのゆるい安心感のある面白さというのもあるので、新規性が絶対ではないのだけど、それでも、人間というのはものすごい勢いで過去を再編集してゆくものなので、数字に直されてしまった過去から推論する未来予測は人間には通用しない事が多い。
例えば、斬新なものを3回連続で見せられると、それはもう斬新ではなくなる。『一回目は斬新だったけど、回を追うごとに新鮮味が無くなった』ではなくて、3回目を観て飽きた時点で1回目、2回目を見たときの記憶は再編集されて、全部まとめて『飽きた』になる。
流行遅れのものを見た時、それが流行だったときに感じた感情を当時の新鮮さを持って一度思い出してから、流行遅れである、というような、段階を追った形の認識を、人はしない。
だから、次に流行るものが何かを、データから予測することはほとんどできないのではないかと思う。現実に、流行ったものって、ほとんどすべて『流行るとは思わなかったもの』ですよね。
そんなわけで、視聴率という統計データに判断を委ねた事によってテレビは硬直化して滅んでゆくと思うのですが、ふと気付くと、ネットの世界もGoogleによって既に統計データが蓄積され、そのデータによって次の行動を決める段階にきてしまっているような気がします。
人がつくるものは、そういうサイクルで生まれ、栄え、滅ぶものなのかもしれません。つまり、予測不能の新規性の中から生まれ、統計データがとれるまでの期間栄え、その過去の統計データで未来が予測できるという勘違いが生まれた時点で滅ぶ、と。
あるいは、神経経済学のように、人間の無意識の行動を予測する学問などが発達して、人間の過去を編集する力を統計データに反映させて、何か新しい領域に到達するかもしれませんが。
なんかまたとりとめもなく長々とすみません。
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合ってると思います
とある企業の上司は大がけして失敗するより、小さくても安定した利益を優先させることを求めていると聞いたことがあります
現状維持は悪ですね
とある企業の上司は大がけして失敗するより、小さくても安定した利益を優先させることを求めていると聞いたことがあります
現状維持は悪ですね
タイトルでまず笑わせていただきました。
今年はテレビ朝日とフジテレビがそれぞれ開局50周年ということで回顧特番をやっていたので視聴しました。
思い出というのは美化されるものなので、子供の頃に好きだった番組というのも今見ると大したことがないんじゃないかなと思ってました。
しかし、それはどうやら間違いじゃなかったようです。
明らかにテレビは劣化している。衰退へ向かっている。
最近は放送業界も大不況で過去の番組の総集編みたいな番組が増えてますが、明らかにそっちの方が面白いんですよね。
今のテレビは画面が貧乏臭い。華やかさが無い。
YOUTUBEでアップされる過去の番組のアーカイブスを見ても、自分の子供の頃どころか生まれる遥か前の番組の方が面白いという事実を突きつけられてる様な気がします。
不況に地デジに視聴率偏重主義の終末。
もうテレビが継続していくためには、一度死なないと新しい芽は吹かないんじゃないかなとまで思っています。
今年はテレビ朝日とフジテレビがそれぞれ開局50周年ということで回顧特番をやっていたので視聴しました。
思い出というのは美化されるものなので、子供の頃に好きだった番組というのも今見ると大したことがないんじゃないかなと思ってました。
しかし、それはどうやら間違いじゃなかったようです。
明らかにテレビは劣化している。衰退へ向かっている。
最近は放送業界も大不況で過去の番組の総集編みたいな番組が増えてますが、明らかにそっちの方が面白いんですよね。
今のテレビは画面が貧乏臭い。華やかさが無い。
YOUTUBEでアップされる過去の番組のアーカイブスを見ても、自分の子供の頃どころか生まれる遥か前の番組の方が面白いという事実を突きつけられてる様な気がします。
不況に地デジに視聴率偏重主義の終末。
もうテレビが継続していくためには、一度死なないと新しい芽は吹かないんじゃないかなとまで思っています。