いつからか僕の生活からは潰す暇がなくなった

 
 僕の個人的な生活サイクルで言うと、たぶん2004年から2005年のどこかの時点で、僕の生活の中から『暇』がなくなりました。
 正確には、暇と言うより『何もやる事がない時間』がなくなったと言った方がいいかもしれません。ネットと携帯とiPodのおかげで、どんな小さな『何もやる事がない時間』に対しても、何かしらの適当な暇つぶしをあてがう事ができて、結果的にただぼーっとしてしまう時間がなくなったという事です。

 今、僕の周りには、あらゆるメディアに乗っかって、そこそこ面白いコンテンツがぎっしりとひしめいています。自分の可処分時間の全てをそれらのコンテンツの消費にあてがっても、とても消費し尽くせないくらい、大量の『面白いもの』が、僕の周りに山積みになっています。
 こんなに幸せな時代はない、と思いつつ、面白いと分かっているのにやる時間のないゲーム、観る時間のない映画、読む時間のない本が積み上がっていく事はものすごいストレスになります。

 消費者ではなく、コンテンツの制作者の目からみても、こんなにたくさんのコンテンツがあっても読者、視聴者は消費しきれないだろうな、と感じる事があります。
 まあ、作り手としては、いいものを作ればちゃんと見てもらえる、と信じて作るしかないのですが、自分の生活を振り返った時、山積みの本やゲームやDVDを前に、面白いものから順に観ているか、というとそんな事はなくて、結局一番手っ取り早くアクセスできるメディアの、一番カロリーの低そうな(考えなくても見られそうな)ものから消費している事に気づいて愕然としました。

 僕が現在一番面白いと感じるもの、自分に必要だと感じるものは読書です。現在、というか昔からずっとそうですが、ネットや他のメディアに比べて、本にまとめられた情報が僕にとっては一番エキサイティングで有益である事が多いです。
 では、本を読むかというと、読書量は20代の頃の半分以下に減りました。活字を読みたいという欲求は変わらないのですが、10年くらい前からネットのニュースサイトを巡回する習慣がつき、最近はRSSリーダーで大量のブログを流し読みするようになってから、毎朝ネットでブログを読んで、なんとなく活字を読んだ気になってしまっていました。
 自分が興味を持っている事の最新のニュースを読んでいるので、有益な部分がないわけではないのですが、じゃあ昨日どんな記事を読んだかというと、何も憶えていない。

 読んだ事が自分の頭の中に溜まっていないなあ、という感覚は昔からあったのですが、それでも読書よりついネットを見てしまうのは、結局ネットの方がカロリーが低くて手を出しやすいからなのかな、と思います。

 ゲームもそうで、据え置き型のゲーム機のゲームは、最近はほとんどやらなくなりました(マリオカートはちょっとやりましたが)。ヘビーなゲームを避けて、単純な携帯ゲーム機のゲームか、携帯のゲームで何となく時間を潰してしまうのは、やはりそっちの方が手が届きやすく、カロリーが低くて楽だからだと思います。

 僕はあまり詳しくないのですが、携帯コミックの世界でよく読まれる作品というのは、通常の紙に印刷された漫画とはかなりヒット作の傾向が違うそうです。おおざっぱに言って、紙の漫画はカロリーの高いしっかりしたもの、携帯コミックではもうちょっとゆるい、というかカロリーの低い物が好まれているらしいです。一般の小説とケータイ小説もそうですよね。
 どっちがいい、悪いという話ではなく、まあそういう事らしいです。本のサイズ、印刷のクオリティに対して携帯の画面が小さすぎて、凝った絵の物は再現できないとか、セリフの多いものは読みづらいとか、そういう事情はあると思うのですが、基本的にラクに読める物が読まれているような気がします。

 これは要するに、そもそも人間にとっては、たとえ娯楽といえど一冊本を読んだり映画を見たりするのは頭を使う、面倒くさい行為なんだ、と言う事なんじゃないかと思います。それでも人が何かコンテンツを消費するのは、人生が暇に満ちあふれているからなんじゃないかと思います。
 長期間の暇は人間にとって一番きつい事なので、暇が昂じると、『暇だから本でも読むか』『映画館にでも行くか』という気持ちになる。もうちょっと言えば、暇によって蓄積されるストレスが大きければ大きいほど、人はカロリーの高いコンテンツを好むのではないか、という気がします。
 食べ物みたいなものです。人間は空腹感、飢餓感が強いほどカロリーの高い食べ物を求め、逆に現代のように飽食の時代になると、カロリーの少ない食べ物を選ぶようになり、いつしかカロリーを憎むようになる。

 今、コンテンツ産業もそういう時代に突入した、という感覚を日に日に強く感じます。だからといって重いものをつくるのをやめるわけではないのですが、今の若い人たち向けの、細切れの暇つぶしにうまく対応できるようなものもつくらないと駄目だなあ、と感じたりもします。

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コンテンツのカロリーというのは面白い表現だと思います。

細切れの暇つぶしというのはずいぶんたくさんあると思いますが、代わりに思考の反芻というか、自分なりの考えの醸成をする時間が減ったと思います。カロリーの喩えに倣うなら、柔軟体操といったところでしょうか。

>結局一番手っ取り早くアクセスできるメディアの、一番カロリーの低そうな(考えなくても見られそうな)ものから消費している事に気づいて愕然としました。

同感です。同感と言いますかこの一文を読み自己を省み、気付かされた、という感じです。安倍さんは本やゲームやDVDで比較をされていますが、私にいたってはFEEDリーダーに登録している記事の中ですら、カロリーの低いものを先に消費している傾向にあるようです。(時間が出来た時に消化するか、未読のまま処理してしまうことも。。)そういった生活を続けていると、自分の「肥やし」となる可能性のある物(情報や特に本)と接触する機会を失ってしまいそうです。

はじめまして
ネットサーフィンして、たどり着きました。
「結局ネットの方がカロリーが低くて手を出しやすい」
この言葉は考えさせられましたね、自分では何かやったつもりでも、意味が無かったりして・・・
怖いですね!

これは絶対おさえちゃって下さい!
なぜなら間違いないから!
知らなきゃ損よ! ホントに!
プロフィール

安倍吉俊

Author:安倍吉俊


イラストレーター。漫画集『回螺』、画集『垓層宮』発売中。
ガンガンONLINE『リューシカ・リューシカ』連載中。
代表作『lain』『NieA_7』『灰羽連盟』『TEXHNOLYZE』
Macユーザー。カメラと自転車好き。爬虫類と魚を飼育中。
何かありましたらabetc*mac.comまで(*を@に変えてください)。

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