ビールとループ、あるいは順位を決める事が順位の意味を失わせるのではないか、という考え
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昔、ファミコン全盛時代なので20年以上前ですが、何かのニュースで、ベストセラー第一位の本を買ったら内容が全く訳のわからないもので『なぜこんな訳の分からん本がベストセラーなのか』という問い合わせが書店に多数来た、というような記事を読んだ事があります。
結果から言うと、ベストセラーのトップになったのは、ファミコンの『ドルアーガの塔』というゲームの攻略本でした。これは60階建ての塔を敵を倒しながら上っていくゲームで、各階である条件を満たすと宝箱が出て、その宝物を手に入れないと先に進めないようになっています。そのため、宝箱の出し方が全部載っている攻略本はゲームクリアに必須で、発売日に瞬間的にたくさんの子供が買ったために、一瞬だけベストセラーにランクインしてしまいました。
それだけなら、まあなんと言う事のない話なのですが、問題は、ベストセラーに載ったとたん、『ベストセラーに載っているから』という理由でゲームの攻略本だという事を確認せずに一般の人たちがその本を買い、とうとうベストセラーのトップになってしまった、という事です。
結果から言うと、ベストセラーのトップになったのは、ファミコンの『ドルアーガの塔』というゲームの攻略本でした。これは60階建ての塔を敵を倒しながら上っていくゲームで、各階である条件を満たすと宝箱が出て、その宝物を手に入れないと先に進めないようになっています。そのため、宝箱の出し方が全部載っている攻略本はゲームクリアに必須で、発売日に瞬間的にたくさんの子供が買ったために、一瞬だけベストセラーにランクインしてしまいました。
それだけなら、まあなんと言う事のない話なのですが、問題は、ベストセラーに載ったとたん、『ベストセラーに載っているから』という理由でゲームの攻略本だという事を確認せずに一般の人たちがその本を買い、とうとうベストセラーのトップになってしまった、という事です。
『ドルアーガの塔』というタイトルが秀逸だったのでは、というのはちょっと置いておいて、この『トップリストに載ってるからいいものに違いない』と『いいものだからトップリストに載る』という考え方が無限ループを起こしてバーストしちゃうという問題は、ネットが普及してより顕著になったのではないかと思います。
たとえば『7より大きな数を割り当てられた文字はプラス1点』という命令を繰り返し何度も与えると、7以上の数が割り当てられたものだけぶわーーっと数が増えて、他は変化無いですよね。本当は6と7の価値の差は1しかなかったはずなのに、そこに極端な差が出てしまう。
検索エンジンの上位リストとかAmazonとかのトップセラーリストとか、ブログランキングとか、とにかくネットのランキングを見ると、時々そういう変なループによって順位付けが変な事になってるような感じを受ける事があります。
ネットのデータはとにかくデータを集めてある条件で並べ替える、というようなことが、高速、安価でリアルタイムにできてしまうのでそういうバーストが起きやすい、というか目立ちやすいのだと思うのです。
対策としては、『ベストセラーリストを見てそれを買った人の行動はリストの集計に反映されない』とか『通常1票のところを0.2票くらいに弱める』みたいな調整をした方がいいように思います。もしかしたら、そんな事は当たり前のようにやられているのかなあ………。僕が思いつくような事はやられている気もしますね。
Googleの検索結果なんかも、『Googleでそのサイトを知った人のアクセスはや行動はGoogleの順位集計には反映されない(弱める)』とか、いっそ時々通常の集計方法と違うものが混じったりした方がデータとして生きる感じもするのですが、それを始めると、たぶんだれも広告を出してくれなくなったり、Googleで上位に来る事をブランド化、ステータス化できないのでやらないのでしょうね。そもそもGoogleを見たかどうかを知る方法がないというのもありますが。
人間の脳は、過去からのフィードバックと未来からのフィードフォワードを繋ぐ事で時間という感覚を生み出して、過去から未来へ向かう自分の行動の方向性を決定しているので、外部のデータベースが人間の過去の行動を数値化して順位付けして、そのランキングを使って人間の未来の行動に影響を与えようとすると、人間とデータベースがお互いの先を読み合ってそこにループができてしまうのは避けられません。
もともと人間の脳はループを起こしやすい仕組みになっています。ビールを飲んでうまいと思ったらまたビール買って来ちゃうとか、なにかでたまたま成功するとつい同じことをしちゃうとか、逆に高いところが怖かったらその怖かったという記憶でますます高いところが怖くなるとか。
まあそのループがあるから頑張ったらほめられて嬉しくてより頑張る、の繰り返しで天才とか超人が生まれたりするので、悪い面ばかりではないのですが、そういう成長を伴うループ以外では、基本的にループは停滞を産みます。その停滞を断ち切るために人間には『飽きる』『醒める』『目移りする』『うっかりする』『忘れる』『物足りなくなる』『他人に影響を受けて嗜好が変わる』というようなループを断ち切る技をたくさん持っています。
もしかするとWeb3.0って、このループをうまく制御するような仕組みを思いつく事が鍵になるのではないか、という気がします。というか、いまトイレに行ってきたらそんな気がしてきました。どうでしょう。
もしかすると、未来のGoogleとかAmazonは真面目に集計しつつ、時々変なものを薦めてきたり、うっかり集計結果を忘れたり、集計自体に飽きちゃったり、頼みもしないのに変なものを薦めてきたり、突然「自分で調べろ!」って怒ってきたりするのかもしれません。
すげーいやですね。
でも真面目な話、創造的でありたいと思っている人ほどループを断ち切るのがうまい気がします。自分の周囲にいるクリエイティブな人を見るとだいたいループを嫌うか、ループを成長させて停滞しない事に強烈に固執している気がします。僕自身は自分を把握して意識してループを切るような才能は全くなかったのですが、人並み外れてうかつだったおかげで物書きになれた気がします。僕のつくるものの独自性は、だいたい記憶違いとうっかりでできています。
今のところ人間はコンピュータの記憶に人間的なうかつさとか忘却を求めていないので、うっかりとか飽きるとか人間的なものとは違う新しい知性によるループの制御を考えつく事ができたら、Googleを超えるような検索エンジンとかが作れるかもしれません。
べつにこんな事を書くつもりで書き始めたのではなかったのですが、書くと『書く』という行為によって何かを思いつきますね。人間の脳は不思議だ。
たとえば『7より大きな数を割り当てられた文字はプラス1点』という命令を繰り返し何度も与えると、7以上の数が割り当てられたものだけぶわーーっと数が増えて、他は変化無いですよね。本当は6と7の価値の差は1しかなかったはずなのに、そこに極端な差が出てしまう。
検索エンジンの上位リストとかAmazonとかのトップセラーリストとか、ブログランキングとか、とにかくネットのランキングを見ると、時々そういう変なループによって順位付けが変な事になってるような感じを受ける事があります。
ネットのデータはとにかくデータを集めてある条件で並べ替える、というようなことが、高速、安価でリアルタイムにできてしまうのでそういうバーストが起きやすい、というか目立ちやすいのだと思うのです。
対策としては、『ベストセラーリストを見てそれを買った人の行動はリストの集計に反映されない』とか『通常1票のところを0.2票くらいに弱める』みたいな調整をした方がいいように思います。もしかしたら、そんな事は当たり前のようにやられているのかなあ………。僕が思いつくような事はやられている気もしますね。
Googleの検索結果なんかも、『Googleでそのサイトを知った人のアクセスはや行動はGoogleの順位集計には反映されない(弱める)』とか、いっそ時々通常の集計方法と違うものが混じったりした方がデータとして生きる感じもするのですが、それを始めると、たぶんだれも広告を出してくれなくなったり、Googleで上位に来る事をブランド化、ステータス化できないのでやらないのでしょうね。そもそもGoogleを見たかどうかを知る方法がないというのもありますが。
人間の脳は、過去からのフィードバックと未来からのフィードフォワードを繋ぐ事で時間という感覚を生み出して、過去から未来へ向かう自分の行動の方向性を決定しているので、外部のデータベースが人間の過去の行動を数値化して順位付けして、そのランキングを使って人間の未来の行動に影響を与えようとすると、人間とデータベースがお互いの先を読み合ってそこにループができてしまうのは避けられません。
もともと人間の脳はループを起こしやすい仕組みになっています。ビールを飲んでうまいと思ったらまたビール買って来ちゃうとか、なにかでたまたま成功するとつい同じことをしちゃうとか、逆に高いところが怖かったらその怖かったという記憶でますます高いところが怖くなるとか。
まあそのループがあるから頑張ったらほめられて嬉しくてより頑張る、の繰り返しで天才とか超人が生まれたりするので、悪い面ばかりではないのですが、そういう成長を伴うループ以外では、基本的にループは停滞を産みます。その停滞を断ち切るために人間には『飽きる』『醒める』『目移りする』『うっかりする』『忘れる』『物足りなくなる』『他人に影響を受けて嗜好が変わる』というようなループを断ち切る技をたくさん持っています。
もしかするとWeb3.0って、このループをうまく制御するような仕組みを思いつく事が鍵になるのではないか、という気がします。というか、いまトイレに行ってきたらそんな気がしてきました。どうでしょう。
もしかすると、未来のGoogleとかAmazonは真面目に集計しつつ、時々変なものを薦めてきたり、うっかり集計結果を忘れたり、集計自体に飽きちゃったり、頼みもしないのに変なものを薦めてきたり、突然「自分で調べろ!」って怒ってきたりするのかもしれません。
すげーいやですね。
でも真面目な話、創造的でありたいと思っている人ほどループを断ち切るのがうまい気がします。自分の周囲にいるクリエイティブな人を見るとだいたいループを嫌うか、ループを成長させて停滞しない事に強烈に固執している気がします。僕自身は自分を把握して意識してループを切るような才能は全くなかったのですが、人並み外れてうかつだったおかげで物書きになれた気がします。僕のつくるものの独自性は、だいたい記憶違いとうっかりでできています。
今のところ人間はコンピュータの記憶に人間的なうかつさとか忘却を求めていないので、うっかりとか飽きるとか人間的なものとは違う新しい知性によるループの制御を考えつく事ができたら、Googleを超えるような検索エンジンとかが作れるかもしれません。
べつにこんな事を書くつもりで書き始めたのではなかったのですが、書くと『書く』という行為によって何かを思いつきますね。人間の脳は不思議だ。
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こんだけ語って『人間の脳は不思議だ』って‥そんなシメですか!
すごく興味深いです。
創造的な人は、意識的か無意識的か、本能的な部分でループ(停滞)を嫌うのかもしれませんね。
新鮮な刺激を求める脳の欲求が、人より強いのでしょうか。
新しもの好きな人の率も高い気がします。
(逆にいえば、新鮮な刺激に弱いというか、新製品に弱いというか)
創造的な人は、意識的か無意識的か、本能的な部分でループ(停滞)を嫌うのかもしれませんね。
新鮮な刺激を求める脳の欲求が、人より強いのでしょうか。
新しもの好きな人の率も高い気がします。
(逆にいえば、新鮮な刺激に弱いというか、新製品に弱いというか)
エルデシュという奇行で有名な数学者がいますけど、彼は世の中の実用的な物はほとんど何一つ覚えられず、でも好奇心は強いから「これはどういう物でどう使うのか」と何度でも同じことを聞いたそうです。数学でもやはり同じことで、基本を絶対ないがしろにせず、当たり前と思われることを本当に当たり前かじっくり考えるために、常人の及ばない発想ができたという(もちろん数学の結果は忘れませんけど)。
で、創造的であることと実用的であることは大概コンテキストがズレてるんで、Googleみたいな汎用エンジンに両方いっぺんをやらせるのはあまりうれしくないような気もします。
知的でないループの問題点は、ループ自体よりもそのループが立脚する「類似性(周期性)」が深化しないという点に尽きるのではないでしょうか。これ多分人工知性の反乱みたいな話だと思うんですよ。「自らに疑いを持つ」という。もちろん疑いっぱなしだと生きていかれんので、どこかはループしてくれないと困るんだけど、それを創造的側面と混同しちゃうのは怖いですね。
で、創造的であることと実用的であることは大概コンテキストがズレてるんで、Googleみたいな汎用エンジンに両方いっぺんをやらせるのはあまりうれしくないような気もします。
知的でないループの問題点は、ループ自体よりもそのループが立脚する「類似性(周期性)」が深化しないという点に尽きるのではないでしょうか。これ多分人工知性の反乱みたいな話だと思うんですよ。「自らに疑いを持つ」という。もちろん疑いっぱなしだと生きていかれんので、どこかはループしてくれないと困るんだけど、それを創造的側面と混同しちゃうのは怖いですね。