電脳空間カウボーイズでまた少し参加してきました。今回はみんなでSFを作ろうという話でした。
物語を作る、というような話題だと、自分の専門分野のせいで真面目になりすぎて、逆にうまく話せなかったなあ……。
物語を作るためには、個人の、物語らなければならない、という強い動機が必要、という事をちょっとだけ話したのですが、これはようするに、物語にいろいろな要素を肉付けしていくとき、何を取って何を捨てるかという作業は、一人の統一された意志でもって行わないと個々の要素がばらばらな方角を向いてしまって効果的に機能しない、という事です。
過去のヒットした作品を分析して、売れた要素をピックアップして効果的にたくさん詰め込んだらより売れる作品になるかというと、実際には全然ダメで、どうしてダメかというと、作品がよいものになるかどうかを決めるポイントは、分析して抜き出せるような個々の要素の中にあるんじゃなくて、その要素同士の結びつき方の方にあるので、節操なくいろんなところから摘んできても、個々の要素がうまくかみ合わず、大抵は破綻します。
『すごいお金をかけてるのに』、『すごい手間をかけてるのに』、『売れ線の要素をしっかりおさえているのに』、なんかグッとこない、というのは、要するに噛み合ってないんだと思います。
逆に言えば、要素の選択の集積が、全体としてある人格を表わしてくれるような明確な統一性を持ちうるなら、集団で知恵を出し合ってもよいものができるのかもしれません。
この辺のことはAppleの製品の事を考えると、分かりやすいかもしれません。MacBook Airのすごさは、単純に薄いとかキーボードがいいとか、逆に光学ドライブがないとか有線LanやUSBポートが不足しているとかそういう個々の要素にあるのではなく、どの要素を取りどれを捨てるかの選択に明確な信念があり、そのブレのなさ、統一性の向こう側に、スティーブ・ジョブズ、もしくはAppleという会社の思想とか人格が見えてくるところに魅力があるわけです。
日本の技術者がMacBook Airを分解して、『キーボードの堅牢性のためにネジを30個も使っている。内部は無駄だらけだ』と言ったというような記事がありましたが、それを無駄だと思っているようだと、高性能な機械はつくれても、魅力的な機械はつくれないのではないかと思います(まあ、実用品は性能=魅力という部分もありますが)。
絵についても同じようなことが言えて、技術があれば誰でも『うまい絵』は描けるのですが、その技術を用いて画面に何を残し、何を切るかの選択が、どこかで自分の人格を反映していないと『いい絵』にはならないです。
でも難しいことに、計算ずくでそれをやろうとすると、うまくいってもどこかあざとい感じが透けて見えてしまうんですよね。
個人的には、最適解は常に人の無意識の領域にあって、意識を経由せず、無意識を無意識のまま外に出す事がよい作品を生むための必須条件だと思っています。まあ、結局こつこつやるしかない、という事なんですが。
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