セカンドライフは駄目だったけど
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セカンドライフは、今やその名前すらさっぱり聞かなくなりましたね。ああいう、3Dの仮想世界に多数の人がアクセスして、コミュニケーションをとりつつ現実とは違うもうひとつの日常生活を送るゲームって、結局普及しないのかな………と思ったところ、いや、もうすごい普及してるじゃん、と言う事に気がつきました。
昨日も電車に乗ったら、車内に5人くらい仮想世界でハンターライフを送っているPSPユーザーがいましたよ。
昨日も電車に乗ったら、車内に5人くらい仮想世界でハンターライフを送っているPSPユーザーがいましたよ。
冗談抜きに、最近いたる所でPSPでモンスターハンターポータブル2ndGをやっている人たちを見かけます。かく言う僕も、初代から始めて、PS2のGあたりで一度冷めちゃったんですが、PC版のフロンティアで狩人魂が再燃し、PSPのMHP2Gがあまりによくできていたので、かなり遊んでいます。
もちろんモンハンはゲームであって、セカンドライフのように自分で遊び方を考えるものとは別物なのですが、モンハンの、『ユーザーにハンターとしての生活を体験してもらう』というコンセプトのぶれのなさと完成度のおかげで、ゲーム内で過ごす時間の密度が濃く、架空の狩猟生活シミュレーションとしてゲーム内にひとつの生態系のようなものが感じられます。そういう点では、むしろモンハンの方がセカンドライフなんかよりもずっと、もうひとつの生活、なんじゃないかな、と思います。
セカンドライフの一番の問題は、(こんな事は語り尽くされているかもしれませんが)達成感を感じられるような目的設定がなかったために、セカンドライフ内で過ごす1時間は、たいていの場合現実の世界で何か1時間やるより密度が低いんですよね。だからプレイすると時間を損した気持ちになる。
やはり現実で過ごす1時間を捨ててゲームに1時間投資するなら、時間を投じて損して気持ちにならない程度の目標設定と達成感をゲーム内に用意する必要はあるんじゃないかと思いました。
昔ドリームキャストで『シェンムー』というゲームがあって、作り込まれた街の中で何をしてもいい(一応物語はある)、というようなコンセプトだったんだけど、今ひとつ面白くありませんでした(僕には)。タンスを開けると畳んだジーンズが入っていたり(あるだけで意味はない)、駄菓子屋かなんかの前のガシャポンが実際に遊べたりと、全く意味のないところまで無意味に作り込まれていて、おかげでメインストーリーに必要なイベントの作り込みはやや希薄という、ひどくバランスの悪いものになっていました。
町を歩いている人にもすべて話しかけられるのですが、そのせいで重要な人物に辿り着くのにものすごい手間がかかる上、たいていの人が「お前誰だよ」「知らない人に突然話しかけてくるなよ」というような、ある意味リアルだけど意味も面白みも0の返答を返してくるので、次第に自分が時間をドブに捨てている感じがしてくるのです。
何で世界の構造をリアルにしようとしてるのに情報収集はドラクエ方式なんだ!!とコントローラーを投げたくなりました。
『何をしてもいい』はよほどうまく世界を構築しない限り『何をしていいか分からない』になってしまいます。ほったらかす事と自由を与える事は違う、と言う事に、人はなかなか気づかないものなのかもしれません。
僕が一番自由を感じるのは、ものすごい制約を与えられて、それに反発を覚えてそこから逃げ出すために自分の能力を最大限に発揮できた時です。
つまり、本当の自由とか創造性というものは、制約との戦いの中でしか生まれないという事です。
これから仮想世界ものをつくるなら、大切なのはその世界で過ごす1時間が、現実と比較して密度的に損した気持ちにならないような制約の設定なのかもしれない、と思いました。
もちろんモンハンはゲームであって、セカンドライフのように自分で遊び方を考えるものとは別物なのですが、モンハンの、『ユーザーにハンターとしての生活を体験してもらう』というコンセプトのぶれのなさと完成度のおかげで、ゲーム内で過ごす時間の密度が濃く、架空の狩猟生活シミュレーションとしてゲーム内にひとつの生態系のようなものが感じられます。そういう点では、むしろモンハンの方がセカンドライフなんかよりもずっと、もうひとつの生活、なんじゃないかな、と思います。
セカンドライフの一番の問題は、(こんな事は語り尽くされているかもしれませんが)達成感を感じられるような目的設定がなかったために、セカンドライフ内で過ごす1時間は、たいていの場合現実の世界で何か1時間やるより密度が低いんですよね。だからプレイすると時間を損した気持ちになる。
やはり現実で過ごす1時間を捨ててゲームに1時間投資するなら、時間を投じて損して気持ちにならない程度の目標設定と達成感をゲーム内に用意する必要はあるんじゃないかと思いました。
昔ドリームキャストで『シェンムー』というゲームがあって、作り込まれた街の中で何をしてもいい(一応物語はある)、というようなコンセプトだったんだけど、今ひとつ面白くありませんでした(僕には)。タンスを開けると畳んだジーンズが入っていたり(あるだけで意味はない)、駄菓子屋かなんかの前のガシャポンが実際に遊べたりと、全く意味のないところまで無意味に作り込まれていて、おかげでメインストーリーに必要なイベントの作り込みはやや希薄という、ひどくバランスの悪いものになっていました。
町を歩いている人にもすべて話しかけられるのですが、そのせいで重要な人物に辿り着くのにものすごい手間がかかる上、たいていの人が「お前誰だよ」「知らない人に突然話しかけてくるなよ」というような、ある意味リアルだけど意味も面白みも0の返答を返してくるので、次第に自分が時間をドブに捨てている感じがしてくるのです。
何で世界の構造をリアルにしようとしてるのに情報収集はドラクエ方式なんだ!!とコントローラーを投げたくなりました。
『何をしてもいい』はよほどうまく世界を構築しない限り『何をしていいか分からない』になってしまいます。ほったらかす事と自由を与える事は違う、と言う事に、人はなかなか気づかないものなのかもしれません。
僕が一番自由を感じるのは、ものすごい制約を与えられて、それに反発を覚えてそこから逃げ出すために自分の能力を最大限に発揮できた時です。
つまり、本当の自由とか創造性というものは、制約との戦いの中でしか生まれないという事です。
これから仮想世界ものをつくるなら、大切なのはその世界で過ごす1時間が、現実と比較して密度的に損した気持ちにならないような制約の設定なのかもしれない、と思いました。
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こんにちは。セカンドライフを検索していて、貴ブログを拝読しました。私も試しにログインしてみたのですが、(PCの環境のせいで思うように動かないのもあり)すぐに飽きてしまいました。私の感覚にあってないのかな~程度に思っていたのですが。来年、日本人が、セカンドライフのようなサイトを開く予定になっているそうです。かなりサクサク動き、内容も充実してるとの話ですが、お聞きになった事がありますか?もしご存知でしたら、参考までにそちら様の感想をお聞かせいただけたらと思います。
10年後
あと10年ほどサービスが存続すると電脳廃墟マニアの人気スポットになるんですよ。
ありがとうございます。ところで、電脳廃墟マニアと言うのはなんですか?それは、将来的に発展すると言う意味ですか?それとも皮肉を含んだ言葉ですか?
(すみません。本当に意図するところがわからないんです。荒らしているつもりではありません・)
(すみません。本当に意図するところがわからないんです。荒らしているつもりではありません・)
国内産だと現実の東京を舞台にしたmeet-meってのが今ありますね。人が集まってる場所の行き方がわからなくて、しばらく一人で彷徨ったあげくやめてしまいましたが。土地鑑のある人がやれば面白いのかな?
「何をしてもいい」というコンセプトで作るならば、せめて背景をもっとリアルに作り込んで「ブラブラ歩いてるだけでも楽しい」という楽しみ方ができればなと思うのですが。その土地に行ったことがなくても行った気になれるくらいの。
「何をしてもいい」というコンセプトで作るならば、せめて背景をもっとリアルに作り込んで「ブラブラ歩いてるだけでも楽しい」という楽しみ方ができればなと思うのですが。その土地に行ったことがなくても行った気になれるくらいの。